がんこ爺の古き思い出
1958年、生まれ
1969年
小学6年生で「吉村」さんに出会う。
(吉村さん:その時は日本玉台のキュー職人、今は吉村キューで有名です)
父親と吉村さんで中学卒業までは、使えるキューを作る事を話し合う!
(父親のポリシー、本気で習うなら良い道具を揃えろ)
今は、四つ玉で使うが将来ローテーションで使えるキューを作成する。
「その当時、自宅から通えるビリヤード場にはポケット台がなかったから」
吉村さんから学んだ事
- 制作過程で重要な工程を学ぶ。
- キューメンテナス方法を学ぶ。
シャフトのへこみ直し、曲がり直し、汚れ落とし等
バットの曲がり直し(重し吊り)
タップ交換
*テーパーの付け方と意味 - ラシャのブラッシング(掃除)方法を学ぶ。
- バランス位置の重要性と真直なスイングの重要性を学ぶ。
非常に特殊なキューになる。(父親のこだわり)
- バットエンドが無く、そこに木ネジ方式で樹脂リングと尻ゴムがつく。
- グリップエンドと樹脂リングの間にバットエンドが数種類、用意されていて身長に合わせて長さが調整出来る。
- グリップ・バットエンドそれぞれにウエイトボルトが入れる事が出来、バランスの調整が出来る。
- バットエンド部分を取るとマッセ等をするのにすごく便利。
キューの諸元
- 4剣ハギ
- キューの長さ、132〜150cm
- ウエイトは、16〜19オンス
- バランスは、ジョイントより20〜26cm
- シャフトは、ストレートテーパーで四つ玉よりの設計でコツはシャチを使う
(シャチのコツは、軽くてキュー切れを良くする)
「父親は、若い時分に四つ玉で何本も撞ききっていた凄腕だったらしい」
また、戦時中は旋盤職人だったようです。
1970年
中学1年生で念願の「ヨシムラ、カスタムキュー」を持つ。
- アストロボール内、細川ビリヤードにて手伝いと練習をする。
(ラッキーな事に友人の父親が店主で無料で練習が出来た事) - お客さんで半日はノーミスで撞いている四つ玉の達人がいて基本を教わる。
真直の練習しか教えてくれなかったですがキューブレがあると都度指摘された。 - この年に四つ玉2台がポケット台に変わる。
先球が入る(入れる)のが楽しくてローテーションに変わる。
四つ玉の達人に入れるコツを教わる(イメージボールの位置)。
「厚みで判断してはイケナイと教わる」 - 中学3年間は、部活の代りにローテーションの練習をしていました。
1974年
高校2年生に吉村さんの進めでアダムキューに変更する。
型番 F/G-7 RAPICA 試作キュー
1974〜1977年
寝屋川ABCビリヤードにてアルバイトをする
- 「アダチ」マネージャーと「小林」選手に学ぶ
(スリークッションの小林プロです。アダチさんから選手と紹介を)
手球コントロールの基礎
ラシャのメンテナスと調整等
シャフトテーパーの付け方(基本的なメンテナンス) - 店の都合で急遽(2ヶ月まえ)四つ玉C級の近畿大会にでる事になる。
(小林プロとアダチさんから2ヶ月間、徹底的基礎を学びました)
1ポイント制で16点で上がりです。
クラス別大会でした。
クラス優勝は、しましたよ!
しかし、総合優勝は、私のミスでファールになり負けました。 - 招待選手の練習時の付き人をする。
台掃除、球拭き、お茶くみ等・・・
今頃、気づいたのですが凄い人達の真剣な練習を見れたのですね。
「マシンガン」ルー・ビューテラー:14−1の世界チャンピオン
(正確に入れる基礎練習と14−1のコツを教わる)
レイモンド・クールマンスの息子:ボークラインの世界トッププロ
(デモンストレーション用のマッセキューでマッセの基礎を教わる) - 当時の最終実績?
「試合は、出場費がなかったのでほとんど出ていません」
四つ玉は、32点〜
3Cは、7〜12点だったと思います。(小林選手とのお相手で)
ローテーションは、十六夜会で80点(ORCが80・90点でした)
1978年
20歳には、家庭の都合でビリヤードを引退しました。
「21歳からは、プレイは全くしていません。」
1992年
34歳ぐらい迄は、細川ビリヤードと他店のハウストーナメント・経営補佐と仕入れの面倒を見ていましたが両店舗閉店の為、完全引退をしました。
最終仕入れの時に、吉村さんの進めで「アダム Super Power」(発売前)を買いました。
2016年3月にリハビリの為、ビリヤード復帰
- 20歳までの恵まれた環境とみっちりとビリヤードの基本を学んだ事を感謝しています。
- 復帰当時は、異次元の世界に飛び込んだ気持ちでした(浦島太郎)。
- ラックシート、ブレークキュー、ジャンプキュー、台の高さ15cmも高くなっている。
- 今(2020年)は、50肩の後遺症で真直なストロークを取り戻すのに苦労してます。
- また、目の老化で遠い的球は、ピントを合わすのに時間が掛るか合わないですね・・・
- 学んだ事・経験した事を書き残したく、このHPを立ち上げました。
スリークッション世界チャンピオンの小林プロ
寝屋川ABCビリヤード「アダチ」マネージャー
14−1世界チャンピオンのルー・ビューテラー
当時のORCメンバーさん
高1からABCには、通っていました。 - 皆さんの参考になれば、幸いです。
- (医師の指示にしたがって、コツコツとユックリと書き進んでいきます)
修正:2020年6月13日